6時10分起床、6時半出発、7時から決算説明し、『パラパラ会計』を初めてプレゼンして贈呈した。今日からお客様に提供を開始したのである。このお陰で話し込み過ぎて7時45分になってしまった。
予定より15分ほど遅れたため、帰りは橋の手前でまともにラッシュの時間に遭遇してしまう。抜け道は朝には存在しないのだが、それでもトライしてみるのも経験と、わき道から橋に上がる道を選択すると、10分の渋滞であった。その間、朝刊を読む。(本当は・・・
この朝刊に、『パラパラ会計』こと、正式名称『パラパラめくって比べる会計』の広告が掲載されていたのだが・・・この時点では運転の信号待ち読みなので、見逃していた。)
8時半前に帰社して、準備して、8時40分過ぎ頃に妻とドライブに出掛ける。妻は風邪気味ではあるが、暖かいし、来週には寒波が押し寄せ、11月の予定はこれまた詰まっている。しかも阿修羅の今回の展示「お堂でみる阿修羅」は23日までで・・・それらを総合勘案して、先週のドライブに立て続くも、「今日」を選択した。
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京滋バイパスを奈良に入った所が渋滞していてたが、当初予定の正午より半時ほど前に興福寺到着するも、駐車場は満車で、付近の駐車場を捜して、無事、有料駐車場の1台の空きを見つけることが出来て、徒歩数分の興福寺へ向かう。
初めに入った国宝館の受付で共通入場券を入手できたのが良かった。臨時の券売所は長蛇の列だったが、ここは待ち無しで買えた。
阿修羅像は「仮金堂」に展示されているのだが、行列は約1時間の表示である。実際には30分余りであったが、陽射しの強い中、幸いにも日傘を持ってきたので妻を常に日陰側に並び入場の順番を待った。
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まずは、右奥から阿修羅像の左半身斜め後ろから眺めることが出来る。そして正面。さらに右半身を斜め後ろから拝見する。背後の大きな仏像を小柄ながら守るかのような井出達は凛々しくもある。
「阿修羅」その名は『百億の昼と千億の夜』で私には馴染み深い。可憐な少女のような阿修羅を想像させる・・・。
続いて、北円堂もまた半時ほど並ぶ。ここは、興福寺の中で最も古い建物で、正倉院の校倉造りのようなお堂である。国宝釈迦如来像を四天王像が邪気を踏みつけて守る。
売店でお土産を考えたが、何ら、「興福寺」を示すものがないため諦め、駐車場へと戻る途中に、先ほどは小一時間待った仮金堂が、今では殆ど並んでいないのに気付き妻は仕切りに残念がった。食事を先にした方が良かったと。私はそうは思わない主義なのだが面白い。
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近鉄奈良駅の近くの駐車場に再び止めて、商店街を歩き、その奥近くの「紅・・」とかという天婦羅の専門店に入り、1,250円で海老3匹と野菜5品などと私は200円ほど追加してご飯と味噌汁の代わりに蕎麦としたが、これだけが出てくるのが遅かったものの、怒らず待っていると、大将が気付いて慌てて出てきた。
当初、3時にチェックインする予定だった、執筆のためのホテルに、この調子では午後8時~9時頃になりそう・・・と歩きながら電話する・・・しかし、それも難しいかもしれない。
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さらに突き当たった通りに人だかりがしているので見てみると、TVなどで御馴染みの餅つきの早業大道芸のような店「中谷堂」で、その瞬間を偶然拝見することが出来た。ここで草餅を買って子供達への土産とした。
社員への土産は、この商店街の入り口に出来た、恐らく新装開店か何かのとても上品で活気のあるお店で黒豆の羊羹を買い求めた。
岐路は渋滞も無くスムーズに戻り、途中大垣のロックシティで、長男の希望していた香辛料である、「カルダモン」を買い求め、5時半に帰宅・帰社した。
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6時から夕食。中部経済新聞原稿が出来ない・・・7時にニュースを見て、7時半にコンビニに行く。無性に喉が渇いたから0コーラを買ってきて飲みながら、原稿が間に合わないまま、論文の缶詰執筆のための荷造りを開始する。
中部経済新聞原稿の構想がまとまらないまま、逆算して準備し、9時前に何とか乗車して向う。新しいキャリーバッグに収まらなかった分は、上乗せバッグにして引っ張る。しかし安いキャリーバッグだけに車輪の音が煩いようだ。
チェックインして、荷物整理して、入浴後に妻に教えられた残り物の恵比寿を飲んで、午前2時に就寝する。