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宛名間違い+井上ひさし+慌てず急ぎ+雪国まいたけの決意

新年度大学院講義第二回の日、スクールバスを待つ間、バスの時間も前回確認したので週刊誌の情報収集を行うため、ビビに入る。

前回の初日と異なり、スクールバスは少しすいていた。事務局で、給与振込先をUFJにすることや、通勤費の書類を提出する。講義は前回欠席の2名も参加された。

今日の講義にも、質問が沢山出て盛り上がった。そして、午後の大学院に急ぐ。

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移動中、メールチェックで、何か事件が起きていることを知った。知人が宛名を間違えたメールを送ってしまい、その中に私のことが書かれているとのことである。

俄かには、状況がつかめない。特に、知人の文章は普段から短いので、何のことなのか中々つかめめない。短い文章は往々にして複数の解釈を生じ易いから、どういう意味で書かれているのか解釈するのに迷う。

俳句や短歌と同様で、情景解釈が、読み手には逆に伝わることすらある。そのため、なるべく避ける言葉に例えば「ね」がある。
***だね」と書いてあると。それは、気安さ(親しみの表現)なのか、軽蔑なのか、楽しさなのか、注意なのか、メールの文章上からは判別できなことがある。従って、目上の人には使わない注意が必要である。

そんなこんなと、時間がない中、様子がつかめないまま、刻々と次ぎの仕事が迫るが、被害が拡大していることだけは理解できたが、「至急」とする謝罪メールが届いたので、恐らく、間違えて送った先に間違いである旨、間違えて送った先に表明してくれるだろうと思った。

ブログの中では、多くのことを、わざと分かり難いように表現することがある。何度も書くことであるが、私がこうして書くという、私のブログの目的である「文章修行」とは矛盾することである。

しかし、これもまたプライバシーの問題であるから仕方がない。宋さんのMLでも書いてあったことだ。宋さんは、それを諦めたが、私に分かれば十分であるという程度に表現できれば良いと考えているし、間接的表現或いは迂遠表現の練習と思えば良いとして、これまでも実行している。

そして、そのための手法として、“もう”2つのオブラートを使って真実を忍ばせる工夫をしている。それが「時間差」と「量」である。しかしこのこと自体、わざと分かり難く、しかし自分には判るように婉曲的に表現するようにしているのである。

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そんな問題が発生しているのだが、対応していている時間は殆どない。先週同様、乗換えダッシュだが、地下鉄の中ではアクセスはできない。先回は地下鉄出口を間違えたが、今回はストレートに行けた。しかし、それでも講義開始時間は若干遅れとなる。

後の大学院の授業は、就活の学生さんが休みで、その他の別割引価額で販売受講生にテキストとして、始める。仕入値段は定価の1,890円だから1,500円は390円の損失である。これを「真正出血」という。

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その後、テキストを使用して講義開始する。このテキストには使命感が込められている。それは、9日に亡くなった井上ひさしさんの言葉と同じである。

笑いへのこだわりる理由について『笑いは人間が作るしかない。自分の手で。笑いは言葉ですからね。人間、言葉を持っている限り、その言葉で笑いを創っていくのが、一番人間らしい仕事だと思う。』

演出家の蜷川幸雄氏は『本当は煮えたぎる様な怒りをちゃんと抱えていて、それを笑いでまぶしながら、表現の幅を笑いにまで広げながら、シリアスな問題を観客に渡してゆく。大衆芸能と芸術性を併せ持って、ねじれるように提出した偉大な劇作家だ』

井上さんが座右の銘にしていた言葉
『むつかしいことをやさしく。やさしいことをふかく。ふかいことをおもしろく。おもしろいことをまじめに。まじめなことをゆかいに。そしてゆかいなことは、あくまでゆかいに』

これらは、講演の要諦でもある。

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3時に終えて、講師控え室に立ち寄ってから岐路に就く。車内で、23日講演に参加しようとしていたところ、集客が出来ず中止となったくだりを聞く。一方、毎年依頼のある創業塾での9月講演の依頼が早々とあって、快諾の返信を書く。

帰社して、昨夜の録画である『失礼ですが儲かっていますか?』を鑑賞しながら、郵便物整理など庶務雑務をする。番組では、思わぬところで経営が成り立っている一面と成り立たず年金で生活をやり繰りしている実情をレポートしていたが、数字での説明がないので説得力に欠けていた

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さらに一方で、午前にあったトラブルについて、頭の隅でずっと考え続けていた。そして早く訂正メールが載る事を待っていた。しかし、夕刻には、被害も拡大してきたので、急がねばならないと考えるに至ってきた。

もう、十分待ったと思われる時間の経ったところで、自分自身も感情的にならない落ち着く時間の蓄積を待ったことろで、返信を書き始める。

しかし、この手のメールは書くのに大変時間がかかる。感情を抑え、思うことの全てを書くと却って角が立つので逆効果になる。言葉を選択し書き換える作業が続く。ここまで書けば、その先はわざと書かなくとも気が付いて頂けるだろうという直前で止めることが肝要である。

これらは、細心の注意が必要である。元と言えば単純なミスから生じたことだら、何よりも最も大切にしたいのは、友好関係だからだ。

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何度も、それこそ何度も、読み直し、数時間掛けて書き上げる。誤解されないよう、言葉を尽くさねばならない辛い作業である。しかし、余りに書き過ぎて、しまうのも良くはない

この場合の「書き過ぎ」は2つの意味がある。一つには、内容が刺激的に書き過ぎることである。

それを防ぐためには、本来であれば、夜書いた文章は1夜明けてから送った方が、間違いがない。気分が激高している可能性があるからである。しかし、訂正文が載らないし、当初のメールに対する返信、さらにそれに対する返信と・・・被害が拡大し続けているので、それも止めない訳にも行かない。

かと言ってML上でやりあっては、最も大切にしたい、友好関係にひびが入る。しかし、公になってしまっているので、2人だけ、或いは3人だけの中で終わることも出来ない。

「書き過ぎ」の2つ目の意味は、自らの選択の道を奪ってはならないということである。
昔、武士の世界では、このような場合の責任の取り方として、名誉を重んじた方法があった。現代では野蛮と受け取られるが、立派な身の処し方である。

しかし、形は変われども、現代でも、それに代わる方法はある。自らその選択ができるように、その方向への扉を開けておいてあげなければならない。そして、そこに気が付かないのであれば、内々にお知らせしてあげなければならない。

祈るような気持ちで、送信ボタンを押す。3つの効果を同時に出すようにしなければならないから、これは難しい位置にポテンヒットを打つようなものである。

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書き終えてから『カンブリア宮殿』で「雪国まいたけ」の大平喜信氏の素晴らしい経営の話を途中からだが観る。驚く。そして頷く。実に深い内容であった。

それは精進に相応しい集中で神の眼を得たかのように、計器に現れない程度の湿度の調整を指示して、不良成長を続けていた「まいたけ」が見事に蘇る。

私も職人技に暮らした経験があるので、この計器に捉えられない程度の僅かで微妙な調整は痛いほどに分かる。当人には見えるのである。そのためには、ひたすらに対象とにらめっこである。現場・現物の観察である。

さらに驚くは、大手のコストを1,200円と見積り、それ以下になるプライスを設定する。それより安くて、自らが生き残れるプライス1,050円を維持すると、大手は参入してこない。これにより、全国のプライスをコントロールする力を得る。それは経営の原理原則であるが、実行が困難なものである。

「雪国まいたけ トップシェアの秘密」を3つにまとめていた。①農協を通さずに直販 ②価格を毎年下げる ③取引先1社への出荷量を全生産の2割以内にする。

いずれも、一般の経営に通じる秘訣である。価格決定に際して対等に交渉できるように経営環境を調えることである。

大平氏の貧乏生活は極限であった。それがばねになっている。今もマラソンの日課で辛い負荷を掛けているのは、それによって幸せと感じるレベルが下がるからであるという。なるほど良いアイデアである。

『そうすると、何でもない時に「何て楽なんだろう。幸せななんだろう」と感じる(ようになる)』と大平氏は言う。

私の場合は「感謝」を忘れないようにする努力であるが、その時、必ず私も生活苦だった時代を想起していた。忘れないようにと思っていても忘れるのが人間であるから、行事にすることなのである。歳時記はそれが現れた人間の知恵でもある。

大平氏の方法は何かに活かせると思う。例えば、ラマダン的に断食をして、その辛さを刻み付けることである。ダイエットにもなる。なかなかグッドアイデアである。

大平氏の負荷の掛け方は尋常ではなかった。まさしく死を賭して「失敗すればトラックしかないから、家族を乗せて林道の上から絶壁に飛び込んでしまおう」と覚悟をきめた。

独立開業から3年の開発で、日本で2人しか作れない、高値で売れる「太もやし」製造を成功させた。
「諦めなければいい。いくら負荷がかかろうが、負荷から逃げれば失敗。逃げなかったら必ずいつかは物事は可能になる。」ここまでの言葉は他の人でもよく聞く言葉である。しかし、その言葉の裏には「失敗したら死ぬだけだ」との覚悟があればこそである。

退路を断つ」に至ったのは、父の命令で働かされていたが中卒で給料が上がらないなか、27歳で独立する決意をする時の父の言葉「お前みたいな中卒が・・・お金もない 何のとりえもない者が・・・すぐ負け犬になるから止めなさい」と言われたことに対して「何を言っているんだ、じゃあ俺は成功してやる!失敗したらお骨になって帰ってくるよと」

「その決断をしたら不思議なことが起こるんです。」「どんなに負荷がかかっても死ぬことがストレスなだけなんです。生きてられれば、『おっ、生きているんだ』と「だからストレス全然たまらない」

貧乏な人は多いけれど、殆どの人は成功しない。他の貧乏の人とは何かが違ったのか?とする村上龍氏の質問に対して、「貧乏が物凄く辛い。だから受け入れることが出来ないと感じた人は、そこからハングリーになる。とこが『貧乏はしょうがない』と受け入れたら、そりゃハングリーにならない。」まさに名言である。

さらに村上氏の質問は、雪国まいたけの経営術で他社にも活かせることは?の質問に対して、一言で言えば「先見性」を具体的に表現してくれた。

「お客様のニーズを正確に予測をする。そして、そのお客のニーズを誰よりも有利な条件で叶えてやる。あるいは協力してやる。これをやったら お客様にお金があれば必ず買って頂ける。じゃそれはどうやるの?というと、ニーズを正確に予測するというのは“人の心”を正確に予測しなければいけない。あの人は何を今 欲しがってしるんだろう?で、それがどれ位のの価値に感じているんだろう?いくらなら喜んで買いたいと思うのか?こういうことを正確に予測しなければいけない。で、それができたら他者に勝てばいい。」と・・・簡単に言ってくれるが凄い。

番組の始めの方で、「不可能と言われたまいたけの栽培を何故やろうと思った?」の質問に対して「人がやれないものは、やったら凄く評価される。じゃ私がやってやろうと思った。」その成功の秘訣は「にらめっこ」である。人に見えないものが見えてくる。

結びの村上氏のエッセー。「大平さんは極貧から這い上がって成功したわけではない。長い間の努力により、自らに眠る能力を開花させたのだ。」
最後の大平氏の言葉「やっぱり世の中で成功している人は、自分に勝っているわけです。そういう意味で、自分に負けるのは悔しい」

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『WBS』では朝活セミナーを報じていたが、ちょっと「対象と内容」が異なるようだった。それでも何か役立つ予感もする。

神経が高ぶっていて眠れない。・・・・このためNスペの『プロジェクトJapan 』の第一回の「韓国併合 伊藤博文とアン・ジュングン」をクールダウンのために鑑賞してしまった。深夜就寝する。

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2010年04月19日 23:55に投稿されたエントリーのページです。

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