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執筆に強制的に向う努力+集中力を欠く邪魔+没頭の甘味

7時半起床でワイングラスを磨く昨夜からの作業の続き。ブログはやっと追いついてきた。もちろん、わざと「時間差」を設けているのだが、ここはライブで良いと判断する。電話に出る必要も無いし・・・懸念もないし、その方が緊張感も高まる。

各種更新とビデオチェックを一通り済ませて、10時過ぎに珈琲を淹れ直して、心も入れ直して、具体的執筆に取り掛かる。

まず、5月末までの不安材料を洗い出す。小さい原稿は直ぐにも追いつくから放置するとして、それは何かを考える。そして、これを成し遂げたら充実感と幸福感で満たされるものは何かを選び出すというABCD理論である。

AがなければBは、何か?それは「非訟事件」と「固定合意を巡る評価の紛争」の原稿である。この内、後者は既に構想は従前から出来ている。前者もこの数日の構想で大いなるアイデアを得て結論は出た。

後は、具体的に書き進むことである。しかしこれも結構な労力を有する。スケッチブックにデッサンを完成したけれども、それを具体的に彫刻として完成させる作業が残っているようなものである。

他人に伝えるためには、それがなければ伝わらないのである。構想(デザイン)は決定的に重要だが、それに劣らず具体的な彫りの表現は欠かせないものである。

しかし、これには着手のローギアーが重いのであろう。その手法として、“時報”を使って奮い立ち、“午前の着手”を使ってさらに立ち、今又“有言実行”を使って立ち上がろうとしている。さらに“通信隔離”をするために全ての窓を閉じる。

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11時半過ぎに昼食。娘の買い物希望先の本を預かりチェックしつつ、正午のニュースを見る。行き先は未定だが候補の店のロケーションを大体頭に入れておき、妻に見せたい藤のお寺との関係性から大まかなコースを、ナビに入れる前に描いておくのである。

正午のニュースでは、その藤が6分咲きであることが報じられていた。そろそろ見頃だと思う。

きっかり1時間の休憩の後、12時半過ぎから再び執筆に向う。恐らく今日4杯目の珈琲を淹れ、これまでの所を印刷して26枚を読み直すことにした。プリンターの接続が珍しく上手くいった。

1時20分で休憩。午後の睡魔である。だから午後の講義でも、必ず途中で休憩を入れてやることにする。入らない情報を流し続けるよりも効率的である。

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1時40分再開。1時間後にセコムが飛んできた!非常ボタンの通信異常による異常が発生したらしい。2つあるワイヤレスの非常ボタンを点検して帰っていった。(信定)

執筆途中の、自己が休憩と自覚しない中断は甚だ集中力を欠くので忌み嫌う。だからホテルに缶詰になって、食事も風呂も電話も全てなるべく自己の管理下に起きたいのである。

そのことに関して、途中、4月30日にも書いた『リーマン予想』に並ぶ難問で、解かれた『ポアンカレ予想』について、ミハイル・グロモフ博士(フランス高等科学研究所)が上手く説明してくれていることに気が付いた。

『100年に1度の奇跡を説明するのは実に困難です。ただ、ペレリマンが孤独に耐えたことが成功した理由かもしれません。孤独の中の研究とは、日常の中の生活に生きるのと同時に、めくるめく数学の世界に没入するということです。人間性を真っ二つに引き裂かれるような厳しい戦いであったに違いありません。ペレリマンはそれに最後まで耐えたのです。』

しかしその結果は数学界のノーベル賞であるフィールズ賞を辞退し社会から姿をくらますことまでに精神を病んでしまった。

現在、数学の世界では21世紀の内に解かれなければならない難問が「ポアンカレ予想」以外で「リーマン予想」を含めて6つあるという。
一体何故数学者は挑み続けるのか?そしてそれはどのような体験なのか?についてヴァレンティン・ポエナル博士はこう言う。

『例えば登山家は、普通の人と違い、山で命を落とすことを恐れません。数学も同じなのです。命と引き換えでも構わない。世の中の他の事など、愛する数学に比べれば取るに足らないものだ。数学の真の喜びを一度でも味わうとそれを忘れることができなくなるのです。

私も、或るものに没頭することを目指している。それが成しえた時の喜びは少なからず知っている。だからこそ、恐れもし、興味も持つ。

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原稿は当初26枚だったものを、17枚にまで削減することができた。目標は13枚だ。4時過ぎに頭の糖分が欠乏してきて、ゆで小豆をぱくつき、緑茶を飲む。そして、また執筆に向う。

6時半から夕食。全員の笑顔が幸せの極致かのような不安に襲われる。そして、それは確実に終わることが分かっている。それだからこそ、散り行く桜の如し美しさがあるのだろう。今を味わうことを忘れてはならないだろうし、それに奪われてもいけない。大切にすると朽ちてしまうのは大切なものに共通する性質だ。

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HDが一杯になっているので、整理しつつ、DVDに移して減らしつつ、ニュースを見る。ネット・サービスの新しいものを調査検索していると、9時過ぎになってしまう。この手の仕事は時間が直ぐに経過する怖さがある。

NC9では脳波で意思を伝える技術が報じられて嬉しく思った。『ジョニーは戦場に行った』のように、意思はあるが、それが外部から確認できないため闇の中に埋没して孤独になってしまう人々は多い。これを回避できる朗報だった。

先の数学者は、自ら進んでそれに埋没しなければ研究が進まなかったし、それに耐え続けることだから、逆の意味で、その凄さを知ることになる。

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9時半から入浴する。明日は外出するので、2日ぶりに髭を剃る。10時前に焼酎を飲み始め、『カンブリア宮殿』の地雷除去機開発の山梨日立建機の雨宮清氏の話を聞く。その採算度外視は逆に最高益を上げることになる。頭が下がる。私は後者がまだ実現できていない。

「貢献ビジネス」は「即応」のアフターサービスにある。その本業の利益を開発に向けている。地雷除去機の赤字は夢があって、誇りを育ててもいる。県外からの人材を得ている。ブランドも育っている。

雨宮氏の超現場主義は、我々の仕事でも可能性はある。しかし言うは易しで困難この上ないことは自分のビジネスに置き換えると分かる。本業の利益を出す必要性を痛感する。

WBSでは家計簿を取り上げていたが何か違うと思いつつ、早目の就寝に心掛けた。

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2010年05月03日 08:05に投稿されたエントリーのページです。

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